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レインマンを誘ってみる
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ヒマリホテルの花 ヒマリホテルの花レインマン3rdミニアルバム

1. 晴れるよ。
2. リセット
3. 泪
4. BACK PACK BLUES
5. 一休歌姫恋物語 (2006LIVE Version)
6. 花束 (2006LIVE Version)
7. 10ルピー (2006LIVE Version)

価格:¥1,575(税込)

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「JUNGLE★LIFE」インタビュー:世界放浪の末、辿りついた音楽の形----旅人daisukeが rainmanに至るまで


2001年1月、インドのバラナシにおいて、前代未聞のライブが行われた。それはインドの聖なる河・ガンジスに浮かべたビッグボートに客を集めて行われた船上ライブである。このライブを行ったのは日本人バックパッカーたちによって結成バンドTHE JETLAG BAND!!!(時差ぼけ楽団)だった。その中心人物であるdaisukeはアコースティックギターを持ち、カンボジア、タイ、ラオス、中国、チベット、ネパール、インドと長きにわたる旅を続けた。そして旅を終えると同時に彼は日本において THE JETLAG BAND!!!の意志を継ぐバンドrainmanを始動させる。彼が歌うのは旅で見た光景、旅をすることによって生まれた感情…それは都市で生きる我々が時に忘却してしまう根元的なメッセージが込められている。数奇な出会いと偶然によって生まれたrainman誕生のストーリーをdaisukeに語って貰った。


今回制作されたアルバム『ヒマリホテルの花』ですが、この“ヒマリホテル”でのライブがrainmanというバンドのルーツになっているそうですね。

daisuke:正式な名前はホテル・ヒマリといって、ネパールのポカラって町に実際にあったゲストハウスなんです。

ポカラってどんな町なんですか?

daisuke:ヒマラヤ山脈が目の前にそびえたってるのんびりした町ですね。23才の時に初めてその町を訪れたんですけど、それから何度も来ていてヒマリのオーナーと仲良くはなっていた。それで僕が25才のときにした旅でまた訪れたときに、ここでライブをしようって思ったんです。

メンバーはどうやって集めたんですか?

daisuke:その旅行中にカンボジアとかベトナムで出会った人たちにホットメールで呼びかけたんです。ネパールでライブをしたいから集まってくれって。みんな1人旅をしていてインドやラオスを廻ってたんだけど。

その人たちはみんな音楽をやっていた人ですか?

daisuke:いや、楽器を触ったことがあるのはオレくらいだった。オレはアコギを持ち歩いていたんだけど、あとは自分が持っていたハープを貸したり、パーカッションは小さな太鼓を買ったりして、それで練習を始めたんですよ。ヒマリにはみんなで4ヶ月くらい滞在して、オレらの貸し切り状態みたいな感じだった。だからヒマリがリハスタみたいな感じで練習してたんですよ。

アコギ、ブルースハープ、パーカッションというのは今のrainmanの特徴ともいえるスタイルですよね。

daisuke:そう、原型になってる。それがTHE JETLAG BAND!!!なんです。

daisukeさんは元々、音楽をやっていたんですよね。

daisuke:日本でパンクバンドをやってました。だけど20才くらいから旅にハマッて、バンドより旅が面白くなっちゃったんですよ。

じゃあ音楽的嗜好も変わったわけですか?

daisuke:旅を始めてすぐに変わりましたね。速い曲が歌えなくなったし、「怒り」を歌う理由もなくなったんですよ。旅を始めた当初はまだバンドもやっていたんだけど、ライブをすること自体が苦痛になってたんですよ。

旅にハマるきっかけって何だったんですか?

daisuke:知り合いと3人で国分寺でMASHっていう輸入雑貨店を立ち上げたんです。その仕入れのために外国に行くようになったのがハマるキッカケだった。でも、まだ若かったし経営のなんたるかもわかってなかったから1年半くらいで煮詰まって身を引いたんです。その後、店もなくなったんだけど、そのMASHで一緒に仕事していた成冨史絵って子が今ではmashmaniaというブランドのチーフデザイナーをやってるんです。この『ヒマリホテルの花』のジャケットは彼女に描いてもらったんです、破格の値段で(笑)。

人の繋がりって不思議ですね(笑)。ホテル・ヒマリのライブはどんな感じだったんですか?

daisuke:ヒマリにあるガーデンでライブをすることにしたんですけど、 PAや機材をネパールの首都・カトマンズから運ぶことになった。

カトマンズからポカラってどれくらい離れてるんですか?

daisuke:山を5つくらい(笑)。一応、ポカラもネパールの第二の都市なんですけど機材を借りるにはカトマンズまで行くしかなかったんですよ。で、バスで運ぶこともできないから機材をトラクターで運ぶことになった。多分、1泊2日くらい掛かったんじゃないかな(笑)。それで機材が届いてヒマリのガーデンにセットを組んだんですよ。その時に掲げたのが「BACK PACK BLUES NIGHT」ってイベントだった。

rainmanとしても継続してやっているイベントですね。

daisuke:そうです。それで町中の食堂にチラシを配ったんですね。そのときは日本人旅行者やネパール人とか50人くらいが集まったんですけど、そのライブが評判良かったんで、1週間後に今度はポカラの湖畔にあるライブバーでライブをすることになったんです。「アムステルダム」っていういかにもな名前の店なんですけど(笑)。

バックパッカーが集まりそうな店ですね(笑)。

daisuke:そこで120人くらいお客さんが来たりして、“ジャパニーズ・フェイマス・バンド”みたいな紹介もされたりして(笑)。

現地で生まれたバンドだったのに(笑)。

daisuke:なんかサインを求められたり(笑)。でも、バンドはそれで終えるつもりだったんですよ。元々はみんな一人旅をしている旅行者なわけだし4ヶ月もポカラにいたわけだから。

じゃあ、THE JETLAG BAND!!!はそこで解散するはずだった?

daisuke:ただ、それぞれまた旅を始めるにしてもネパールからだとバングラディッシュかインドに行くかしかないんですよ。それで、ちょうど時期も2000年の終わり頃だったから、みんなでガンジス川でも眺めながら年を越そうかってことになったんですよ。そこで一端バラバラになったけど、インドでまた集合したんです。そうすると、またライブしたいねって話が持ち上がった。ただバラナシにライブハウスって無くて、やりようがなかった。

はい。

daisuke:で、ちょっと話は変わるんですけど、元々オレも服を作ったりしてたんでTHE JETLAG BAND!!!のTシャツ(rainmanのデザインワークでも使われている太極図をモチーフにしたもの)をシルクスクリーンで作ったんですね。それをメンバーとかその友達とかに配ってたんだけど、なんか町中でそのTシャツを見かけるまで広まってしまったんですよ。

なんか凄い展開ですね(笑)。

daisuke:それで「これはどういうことだ!?」ってことになり、その地域のマフィアに呼び出されることになるんですよ。

バラナシに突如あらわれたチーマーみたいなものと勘違いされた?

daisuke:そう、それで仕方ないからオレがマフィアの家まで行くことになったんです。ただ、その土地にも5年くらい前に知り合った仲の良いインド人がいたんですよ。だからそいつに付いてきてもらったんですけど、彼がまたそのマフィアと友達だったりして…。

危機一髪というか、また不思議な巡り合わせですね。

daisuke:めちゃくちゃ運が良かった(笑)。それで彼がマフィアに「こいつはミュージシャンでこの町でライブがやりたくて滞在してるだけなんだ」って説明をしてくれたんですよ。そこで、マフィアの方も話に乗かってきて「オレの船でライブをやれ」ってなる。それがめちゃくちゃデカい船だった。

クルーザーみたいな?

daisuke:いやエンジンも付いてない木のボートなんですけど100人くらい乗れるんですよ。この上なら客を集めてライブが出来るだろうってことになった。で、ヒマリの時と同じようにチラシを撒いたんですけど、これがガンジスの川沿いに続々と人が集まってきたんです。結局、船に乗れない人が出るくらいで100人の観客に囲まれてライブをした。それが昼の12時から夕方くらいまで続いたんですけど。

グレートフル・デッドみたいですね(笑)。

daisuke:そうそう(笑)。お客さんも日本人旅行、欧米人様旅行者、インド人っていうインターナショナルな状況で、踊りまくってガンジス川に飛び込む奴がいたりとかして、かなり盛り上がったんですよね。

それが伝説のガンジス船上ライブなんですね。

daisuke:このライブでオレも感動しちゃったんです。自分のなかでもすごく達成感があった。その時にもう1回本気で音楽をやってみようって思ったんです。

それまでは本気で音楽をやろうとまでは思ってなかったんですか?

daisuke:なかったんですよ。日本でバンドをやめたときに、本気で音楽をやめたつもりだったから。でも、そのガンジスのライブをやってこの感じを日本でも伝えたいと思ったんです。

なぜ日本に戻って音楽活動をしようと思ったんですか?

daisuke:旅をそろそろ終えたかったんですよ。20才の頃から長旅をして日本に戻ってきたら金を貯めてまた旅に出るっていうことを繰り返してたけど、キリがないとも思ってた。だから2000年の旅はそもそも、最後の旅にしようと思ってたんですよ。その間に何か自分のやりたいことを見つけようと思ってたんです。まさか、それが音楽だとは思ってもなかったんだけど(笑)。

なるほど。

daisuke:でも、その船上ライブのあとに、その時のメンバーと一緒にゴア(ヒッピーの三大聖地と言われる場所)に行くことになるんです。最初はオレも船上ライブの打ち上げみたいなノリだったんだけど、そこでコミューンみたいな生活をしてハマることになる。もうね、かなり楽しい毎日なわけですよ。

はい(笑)。

daisuke:外に出れば海が広がっているし、週末になればビーチでトランスパーティがある(笑)。結局、2ヶ月くらい居ついてしまった。だけど旅をしているときって、実は不安な部分っていうのも常に抱えているんですよね。ほとんどの旅をしている人は、これが日常じゃないってことを分かってると思う。

確かに、そうですね。

daisuke:だから葛藤もあったんです。しかもオレは1人で自由に旅をしてきたわけだけど、仲間も増えて集団生活になってしまった。集団になると規律も生まれてくる。通訳する担当だったり、家賃を集める担当だったり役割みたいなものもできて、社会になってくるんですよ。そのなかでオレはボス的な位置になってしまったんですよ。

バンドの中心人物だし、みんなを束ねるキッカケになったわけですもんね。

daisuke:それで人との知り合い方もなんかおかしくなってきた。仲間の誰かがゴアで知り合った旅行者をオレの部屋に連れてくるみたいな…。なんかその状態を考えたときに「オレ、旅人じゃなくなってねえか?」って思ったんですよ。町にいけばみんなオレのことを知ってるし、1対1の出会いもなくなったりして。オレは新鮮な出会いがしたくて旅をしてたのに、いつの間にかそれがなくなちゃったんですよ。

そこで旅も終わりにしようと?

daisuke:そう、それで最後にモロッコに行って終わりにしようって思った。どうせアジアに行っても知ってる人間に出会うことになるから、誰にも出会わないところに行こうと。そのコミューンもオレが作ったようなもんだから、作った人間が壊さなきゃいけないと思って解散して…。

でも、バンドメンバーだったわけだし、かなり深い関係だったわけですよね。

daisuke:だからホントに涙の別れみたいになったし、今度は日本で会おうって約束をした。オレもすごく寂しかったんだけど、でも1人旅で始まったから最後にちゃんと1人旅をして帰りたかったんですよ。今回のアルバムに収録した「リセット」という曲はこのゴアの町を出るときをイメージして出来た曲なんです。馴れ合った場所から旅立たないと次の場所が見つからないっていうことを書いてる。

外に出ていこうとする歌ですよね。

daisuke:そうしないと始まらなかった。いつまでも居心地のいい場所にいちゃいけないし、いつでも“リセット”できる覚悟が必要だって思ったんですよ。

なぜ最後の場所をモロッコにしたんですか?

daisuke:サハラ砂漠が見たかったんです。旅って長ければ長いほど終わるキッカケってなくなっていくものなんですね。

じゃあ、最後に見る光景を決めたわけですね。

daisuke:砂漠からの日の出を見たくて午前3時くらいに起きて砂漠を歩いていったんですよ。町からずっと歩いていって砂丘を越えて、自分のまわりが360 度全部砂漠ってところまで歩いていった。それで砂丘を上ったときに太陽が昇ってくる光景を目の当たりにしたんです。

象徴的な光景ですね。

daisuke:まるで走馬燈みたいにそれまでの旅の光景が頭に流れてきた。ギターを買ったときのことや、ネパールやインドでのライブの光景とか。ホントにそれは想像以上の感動で、涙がボロボロ流れてきたんです。これでやっと旅を終えることができるって思ったんですよね。

そこで完全に自分の旅を整理できた?

daisuke:音楽は日本でやろうっていうのは決めていたんだけど、旅を終える整理は出来てなかったんですよね。だから、そのサハラ砂漠でやっと決心できたんです。

いまdaisukeさんが住んでいる東京と長旅でライブをしてきた町というのは全くちがう場所ですよね。取り囲む空気も違えば時間の流れも違う。環境が違いすぎて、そのときの気持ちのまま音楽を続けることは難しくないですか?

daisuke:でも、旅のことを歌にすることによって、そこで感じた大事な気持ちを忘れられないでいられるんですよ。だからrainmanの世界というのは自分にとっての薬みたいなものかもしれない。ライブをしていても旅のときに貰ったいい状態の自分がまだ残っていることが確認できるんですよ。その状態っていうのをお客さんにも分かってもらえれば、確実にピースな感覚になれると思えるんですよ。だから、rainmanで歌い続けることで、その気持ちを広めたいって思っている。

このアルバムに収録された「泪」という曲はメッセージ性が強い曲ですよね。平和じゃない現状に対して憤りが描かれている。この曲にアルバムタイトルとなっている“ヒマリホテルの花”という言葉が使われてますね。

daisuke:この曲は“9.11”のときに作った歌なんですよ。あの状況に対して、ホテル・ヒマリのガーデンにあった花たちが目をそむけるという内容だった。オレのなかで“ヒマリホテル”っていうのはピースの象徴なんですよ。だけど今、ネパールという国自体が混乱状態にあって、実はホテル・ヒマリもなくなってしまったんです。だけどオレはホテル・ヒマリを無くしたくないという想いが強くあった。だから、このアルバムのタイトルも『ヒマリホテルの花』にして、今回のジャケットにも架空のピースの象徴として描いてもらったんです。


  2006年4月、国王の直接統治下にあるネパールでは民主化の気運が高まり、反王政派の若者らが大規模なデモ集会を行った。それに対しカトマンズでは外出禁止令が発令されるが、抗議デモは郊外の都市へと拡大され混乱状態に陥っている。ポカラにおいてもデモに参加した男性が治安部隊の発砲を受け死亡した。daisukeが平和の象徴としたその土地で現実に起こっていることのギャップは大きい。しかし、だからこそ『ヒマリホテルの花』という作品に込められたピースフルな想いが今、強く響いてくる。

ロック、ブルース、レゲエなどをミックスした独特のサウンドを生み出す6人編成バンド。ブルースハープの哀愁のとdaisukeのハスキーなヴォーカルが絡み、パーカッションを擁するリズム隊の強力なグルーヴを作り出している。

[THE BACK PACK BLUES NIGHT PARTY VOL.2]
rainman presents. rainman ワンマンLIVE
2006年5月21日(日)@TOKYO BAY
ガンジス川船上ライブから5年、東京湾にて伝説のライブが蘇る。『ヒマリホテルの花』のリリースパーティはなんと東京湾船上ライブに決定!! 昨年の12月に行われた第1回目のクルーズには180人が集またっというこのスペシャルライブ。ソールドアウト必至!!
『ヒマリホテルの花』

JETLAG RECORDS
JLRCD-1
\1,575(税込)
2006.5.21 Release

インタビュアー JUNGLE LIFE 編集部 桑村治良

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